書評:ほまれ

ほまれ ---なでしこジャパン・エースのあゆみ

ほまれ ---なでしこジャパン・エースのあゆみ


生まれた年のお米が不作だったため、翌年の豊作を願って穂希という名がついたそうだ。
今年彼女がキャプテンとして成し遂げた偉業は、豊作と同じくらい日本を明るくするものだった。


元々足の力が強い子供で、兄に連れられサッカーを始めたそうだ。
そこからこの女性版キャプテン翼の物語がスタートするわけだが、順風満帆だったわけではない。
女子サッカー不毛の時代に生まれた彼女は男の子と共にプレーをする。
試合中にスパイクを蹴られ、相手の男の子を追いかけ回した。
全国大会にチームが出場したが、女の子ということで大会に出られなかった。
合宿等の時には、チームメートの母親と同じ部屋に寝泊まりして協力を得ていた彼女に、大会事務局は協力することはなかった。
その後12歳でベレーザへ、15歳で日本代表、企業スポーツ衰退の壁が立ちはだかりアメリカへ。
言葉の壁から数ヶ月ホームシックに。
その後アメリカプロリーグで大活躍するもリーグ全体がたち消える。
日本代表では欧米の厚い壁どころかアジアの壁が立ちはだかった。


もうこれだけ日本中がなでしこ騒ぎになっているから知っている人も多いと思うが、彼女はそれらを全て乗り越えて世界一まで日本を導いてくれた。
ワールドカップを優勝したチームメイトは若い頃彼女にあこがれた選手も多く、彼女から勇気と目標をもらった選手たちである。


私はその原動力が、全て彼女の母の一言にあるような気がしてならない。
小学生時代スパイクを蹴られた事件だが、その後の母の言葉がこれだ。

「将来『澤穂希という女の子は、サッカーを続け、こんなふうになりました』と、その男の子に胸を張れるよう、しっかりがんばりなさい」


全てがこの言葉に集約されている気がしてならない。
今なら彼女は堂々とその男の子に胸を張って言えるだろう。
「世界チャンピオンの澤穂希です」と。
私は地下鉄でこの部分を読みながら胸が熱くなった。


もう一つ別の視点で澤選手の成功の秘密を探ると、一つの共通項があることがわかる。
それは、彼女が部活育ちではないこと。
部活を短絡的に否定しているわけじゃなく、彼女は常に自分より上の人たちとプレイする環境に身を置いていたのだ。
小学生の頃は女子チームではなく、普通に男子と争っていた。
ベレーザでは年上の女性たちとプレイした。
アメリカでは、世界のトッププレイヤーと対峙した。
彼女は常に競争が激しい環境に身を置いていたのだ。
それが彼女をあそこまでに成長させたのではないだろうか?
学年や先輩後輩というしばりを受けずに彼女はやってこれたのだ。


ここから言えることはいくつかあると思う。
一つは、やはり試合に出る環境は重要であるということ。
そして自分の実力をのんびり発揮する環境ではなくて、ファイトしなければならないレベルに常に身を置くこと。
この選択肢が大事なのだろう。
今後女子サッカーの競技人口が増えることが予想できるだろう。
しかしそれは一方で試合に出られない人の数が増えることを意味してしまうと、あまりにも逆効果だ。
澤選手は確かに凄い。
男子サッカーで言えばキングカズのような存在だろう。
しかしただただ崇めてしまうのではなくて、参考に出来る部分は冷静に参考にしていく姿勢が女子サッカー界とマスコミを含めたまわりには必要だろう。


さてお祭り騒ぎのマスコミのおかげで、なんだか彼女たちのいらない部分までスポットライトが浴びているところだが、今後競技のことを考えれば、この祭りの後が最も重要である。
そして幸運にもオリンピック予選がすぐそこだ。
話題を持続していくことができるわけだ。
逆に有頂天になってここで躓くと、マスコミはもう相手にはしてくれない。
そんなケースを何度もスポーツファンは目にしているだろう。
長野オリンピックを沸かしたスキーのジャンプ競技について何か最近マスコミは報道しただろうか?
柔道はどうだろうか?
スピードスケートは?
日本のスポーツマスコミは競技を育てる意識はないのである。
だからこそ今回の女王の伝説はこれがクライマックスになってはいけないのだ。
澤選手の背中を見て走った選手は数知れないだろう。
しかしまだまだ走り続けてもらわなければならない。
女子サッカーがこの国に根付くまで。







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