書評: 星屑たち それからのアトランタ組物語

星屑たち―それからのアトランタ組物語 (サッカー批評叢書)

星屑たち―それからのアトランタ組物語 (サッカー批評叢書)

ロンドン五輪予選に向けて次の日本サッカーのスターの卵たちがこれから大きく羽ばたいていく時期に差し掛かっている。
前途洋々の未来に見える今だが、そんな今だからこそ15年前のオリンピック戦士の現実を知るのもいいだろう。
オリンピックでメダル獲得、そこでの活躍が認められその後欧州移籍、そんな未来予想図を強く念じるのも必要だが、その逆も一度は考えて欲しい。

日本のマスコミの傾向として、旬な人物を掴まえ、持ち上げに上げる。
そしてやがて持ち上げることにつかれてしまうのか、今度はトコトン落とすことに力を入れてしまう。
全てのケースがそうとは言わないが、往々にして多いことである。

残念ながら一度取り上げた事柄や、テーマのその後をしっかり描いたり、一つのトピック(この場合スポーツ)を持続的に取り扱い、育てるケースも少ない。
マスコミも経済活動の原理の中で動いている以上仕方のない面もあるが.....

そんな中で、アトランタオリンピックで日本中の注目の的となった選手たちのその後を追いかけたこの本の意義は大きいと感じる。
取り上げた選手は主に、前園、中田、遠藤、白井、伊藤、松原、秋葉、さらに加藤久西野朗も登場する。

次のステップへ進みたがる選手にとって、彼らをきちんと良い道に「送り出せる者」は間違いなく重要である。
また不景気の今、勝利至上主義の教育の下、スポーツばかりをして、人間的に成長しなかった場合の危険性は昔に比べ高い。
アスリートのセカンドキャリアの問題はいつになく深刻だ。


この本はまさにそういった現象を残酷なまでに克明に描き出している本とも言える。
アトランタで日本を未知のレベルに導いた面々の周りには、
「大丈夫だよ」「おまえのプレーはいいよ」と言う人がどうしても増える
その結果、「周りが誉める人ばかりになると自分がわからなくなる」そんな状態に陥ってしまった選手が多かった。

遠藤彰弘選手は幸運にも、そんな状況でもきちんと次のステップへ「送り出す者」が周りにいた。
「今のプレーでは他のチームに行っても無理だよ」
彼にこう伝えたのは、意外にも代理人であった。
代理人にきちんと見る目があったからこそ、遠藤選手はその後も地に足をつけて、しっかり前進できた。
代理人はどうしても日本では悪者扱いされるケースがあるが、形はどうあれこのケースでは、遠藤選手の代理人の果たした役割は金銭以上のものがあったと言える。

しかし残念ながら、全ての選手にそういった存在がいた訳ではなかった。
その結果、晴れ舞台からは遠く、韓国リーグ、J2、その他もうサッカーをしていない選手もいる。

遠藤選手はこうも言っている
「サッカー選手はピッチで実力を見せればいいという人もいるけど、そのためにもやっぱりコミュニケーションが大事だと思うんです。監督やチームメイトとの関係だとか、クラブのスタッフとかといい関係が築けていないと、練習場でもクラブハウスでも孤立してしまう。 練習場やクラブハウスは僕らが生活している場所ですから、自分にとって居心地のいい場所じゃなけゃいけない。そうじゃないとピッチでいいプレーをすることもできなくなってしまいますから」

つまり、実力の前に、人間としての基礎、コミュニケーション、生活力がないと活躍できないということではないだろうか?
勝利至上主義の下で、監督のロボットと化した選手が、急に社会に放り出され、日本中の注目の的になった場合、マスコミの性質上どうなるかは想像できよう。

アトランタの地でバリバリに活躍した選手は、現在マスコミのファンダーを通しては残念ながらあまり輝いていないかもしれない。
彼らはある程度は時代の犠牲者でもあったかもしれない。
しかし、そんな彼らを見捨てていないマスコミが存在していること、そしてその先には彼らが現在のステージで活躍することを願うファンがたくさんいることを信じて、今後彼らを応援し続けたい。

最後に、プロに限らず、選手が引退したり、身を引いた後も、その人生は続く。
持続する生活が充実したものにできるように、日本のスポーツ界が少しでもサポートできる環境を作り上げていけることを願う。
この本を読んで改めてそう思った。



アトランタ五輪 マイアミの奇跡



ブラジルの放送



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