書評:人はなぜ 強くなければならないか―さらば釜石、さよなら炎の男たち


いよいよラグビーワールドカップが開幕するということで、個人的な盛り上げ施策としての第2弾。
往年の名選手、松尾雄治
それにしても、たまたまとはいえ濃いキャラクター、偉人の書評が続く。
サッカーの釜本しかり、野球の江夏しかり、そして中田久美と。
せっかくなので合わせて読んでみてください。
それではスタート



今では信じられないかもしれないが、日本ラグビーが世界の強豪ウェールズと5分5分の戦いをした時代がある。
百点も取られて惨敗した以前の遠征からは、想像も出来ないかもしれないが、本当である。


 そりゃ、当時はまだラグビーがプロ化されていなかったから差があまりなかったんだと反論する人もいるかもしれないし、数年前にサントリーが日本でウェールズに勝ったじゃないかと反論されるかもしれない。
しかし少なからずウェールズのホームに乗り込んでいって、一桁しか差のない試合をしたジャパンは未だにいないことだけは確かである。


 当時日本のラグビーの頂点に君臨していたのは、新日鉄釜石ラグビー部で、それに追いつけ追い越せと躍起になっていたのが、平尾・大八木・林の同志社であり、神戸製鋼であった。
日本ラグビー界のプリンス、平尾誠二がどうしても超えられなかった人物といえるかもしれないのが、新日鉄釜石7連覇の黄金期を支えた司令塔、松尾雄治である。


 目黒高校、明治大学、そして新日鉄釜石と常にまぶしすぎる光を発し続けた彼は、その後ちょっとした事件でラグビーの表舞台から遠ざけられることになる。
そのため、アマチュアリズムの権化である日本ラグビー協会からのプレッシャーがあるのか、彼の発言やノウハウは伝えられることはタブー視されてきた。
確かに全てに勝利し、饒舌で、先見的な発想を持った彼は、当時の日本ラグビー協会にしてみては、あまりにも眩しすぎる危険な要素だったのかもしれない。
幸いラグビーが好きで好きでたまらない松尾雄治は、現在成城大学ラグビー部のコーチをしている。


 さて本の内容だが、読み終えた第一感想は、平尾誠二はかなりこの人の思想に影響を受けたのではないだろうか?ということだ。
松尾雄治はあまりに長い時間ラグビーから遠ざけられたため、現在の人には、その実態が見えてこない。
したがって平尾誠二以前、いやひょっとして平尾誠二以外に「インテリにラグビーやスポーツについて語るラガーマンはいない」という風潮があるような気がしてならない。
しかしそんなことはなく、松雄雄治の発想は当時ではあまりに先見的で、むしろ現在にマッチしているものが多い。いくつか紹介しよう。

 

釜石は監督にやらされて強くなったチームではない。
選手一人一人がよく自覚し、練習でも何でも、自発的に意欲をもって取り組んだから強くなった「やる気」のラグビーチームである。

真の自主性に近づいていきたいというのが、釜石の理想であり伝統だから、最後の最後までそのことをチームの若手に伝えていきたい

勝って兜の緒を締めよ
素直なことばではないと思う。
素直でないから、人に無理を強いる押しつけがましさみたいなところがある。
あるいは、戦争という命のやりとりの際には、それほどの気くばりをしないと今度は自分の命が危なくなるぞ、という戒めかもしれないが、スポーツは元々、そんな切羽つまった悲壮なものではない。
その違いかもしれないが、わたしは目的を達成したら羽目を外して大喜びしたい方だ。

真のチームワークとは、選手一人一人が強くなることからしか生まれない。

人間の気持ちはすぐマンネリになる。そして、マンネリ化したことにつまらなさを感じ、興味も関心もももたくなる。
これが人間の心のいちばんの特徴のようだ。だから、それを防ぐためにはいろいろな対応策を、エンドレスに、繰り返してやらなくてはならない。

ラグビーのような、格闘技の要素のかなり強いスポーツでも、名選手と呼ばれるためには、ハード面とソフト面がマッチしていなければならないのだ。

人間的な成長がラグビーの力を伸ばす
 
がんじがらめの管理が成長を止める 


 平尾誠二が日本代表監督を務めていた頃、彼はマスコミにかなり多く登場し、様々な発言をしていた。
それらを覚えている人はうすうすと感じたかもしれないが、上記の松尾雄治の言葉で似ているものが多かったはずだ。


 さらにもう7、8年か前のナンバーに掲載されたインタビューでは、秩父宮ラグビー場にナイター照明を付け、プロ野球のナイターのように、金曜日の夜に試合を行うなどの改革を提案するなど、松尾雄治の発想はアマチュアリズムやプロということを超えて、本当にラグビーが純粋で好きな人間の言葉であった。
だからこそ、既得権益の協会にとっては目の上のたんこぶ的な存在になってしまうのかもしれない。


 平尾誠二にしろ、松尾雄治にしろ、サントリーの土田元監督にしろ、慶大の上田監督にしろ、早稲田の清宮監督にしろ、ラグビー界には優秀な人材、優秀なプロデューサーになりえる人材が実はゴロゴロしている。
しかしながら、誰一人として協会内部で中心的な役割を現在こなしていない。


 そして残念ながら彼らの言葉やノウハウは、低迷を続ける日本ラグビー界で引き継がれることなく一時的に騒がれてパッと消えていくばかりである。


 日本ラグビー協会は、そろそろ彼らをプロデューサー役に据えてやっていく時期ではないだろうか?
そんな想いを沸き起こさせる、現代でも充分に通じるものがある、貴重な一冊である。


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