書評:壁は破れる


日本人スポーツ選手が海外を意識し、海外で活躍することで注目を浴びる時代になっている。
しかし、ヨーロッパや南米などと違い、外国で暮らすことや拠点を移すことが当たり前という感覚は日本にはまだまだない。

例えばサッカーを考えてみよう。
ブラジル人選手及びコーチスタッフは世界中で働いている。
自国もあれば、寒いロシアもあれば、日本もあれば、当然サッカー大国でも働いている。
これはヨーロッパでも同様の傾向がある。
競技に関わらず、ヨーロッパの選手・スタッフは様々な国で働いている。


それに比較して日本ではやっと選手の海外進出が始まったばかり。
残念ながらコーチや指導者が海外のトップレベルで活躍している話はほとんど聞かない。


そんな中、アテネオリンピックアメリカ女子代表チームを率いた吉田敏明氏は貴重な存在だ。
オリンピックではメダルを逃したものの、キューバを倒し、アメリカをランキング1位に導いた手腕はお見事。


母国語を使えない中、自己主張が強いアメリカ人に日本の和を教え、データを用い、基礎を教え、組織をつくり、そしてバレーが決して盛んとはいえないアメリカを世界のトップへと近づけた。
そのノウハウはこの本にぎっしり詰まっているので、読めば参考になること間違いなし。


まず彼がどうやってアメリカ代表のコーチになれたかというと、これが興味深い。
吉田氏はまず、筑波大学大学院時代に日立武蔵、山田重雄監督のもとアシスタントコーチをしていた。
その縁あって当時アメリカ代表のアーリー・セリンジャー監督の下アシスタントをすることになる。
その後日立に帰国、東京学芸大学に籍を移し研究を続ける。
しかし、トップレベルの現場に戻りたい気持ちからスウェーデンの男子→アメリカチームアシスタントコーチとなる。
そして最後は女子代表監督を公募したUSVA(アメリカバレーボール協会)に全権を任される代表監督として採用された。


ここでポイントとなる2点に注目したい。
1. 始めてアメリカの手伝いをした際の日本バレーの世界的な位置づけ
2. 山田重雄の人脈


まず、当時の日本バレーは世界的にも常に上位に位置し、目標とされる存在であった。
そしてその中でも、山田重雄というカリスマは、日本という狭い世界でバレーを考えずに、世界を基準に考えた。
そのためにも、海外の様々なコーチなどと人脈を築いた事が予想される。
海外を倒すためにも海外を知る。
日本をより強くするために海外のいいところを知る。
そのためには、敵であろうと相手の懐に飛び込んでいったのだろう。
そういった人脈作りのおかげで、吉田監督が世界に知られることになったといえる。


では考えてみよう。野球では日本は世界でも目標とされる国である。
しかし、選手の交流はあれど、日本人コーチが海外へ飛び込んでいくという話はあまり聞かない。
むしろアテネオリンピックではあまりに敵を研究せず、逆に敵(特にオーストラリア)に徹底的に研究されて敗北したという報道が多数あった。
残念ながら日本のプロ野球で海外を意識しているのは選手だけのようだ。
指導者にもどんどん海外から学ぶ貪欲な姿勢が欲しいところだ。
人脈ならいくらでもあるはずだ。
それを活かせるかどうかに懸かっている。


さて、肝心の吉田氏のコーチングについてだが、彼は選手を心で納得させる部分と頭で納得させる部分のバランスがひじょうに取れた指導者なのではないだろうか?
データを重視しつつも「根性」の必要性を説き、選手に考えさせる一方で情報を与える。
そして選手とはあえて一線を引きつつも、国籍や性別にとらわれず、きちんと選手一人一人に合った指導を行う。
この本には当たり前のことを当たり前に行ったコーチの哲学と実際の行動が描かれている。
しかし、当たり前のことを当たり前にこなすことこそが、最も難しかったりもする。


アメリカではバレーボールが全国ネットでゴールデンタイムに流れることはない。
選手がチヤホマスコミに持ち上げられることもない。
さらにアメリカでは地区によってバレーボールの部活がない高校が多数存在する。
(特に男子)アメリカはバレー発祥の地ではあるかもしれないが、日本ほどバレーが盛んな国とは言えないかもしれない。


しかしそんな国でも優秀な指導者の強い意志と手腕にかかれば、年間予算9000万でも世界のトップと争えるのだ。
日本も参考にしなければならない点は多いはずだ。


吉田氏はその後アメリカからの続投要請を断り、びわこ成蹊スポーツ大の教授兼監督を努めたそうだ。
単身赴任での生活が長かったことから、家族との時間を優先したのだろうか?
バレーボール界の中の序列や派閥などはよくわからないのだが、強豪国を率いた吉田氏が日本で話題にならないのも何か奇異に感じる。
アリー・セリンジャーが全日本の監督になれなかったことと同じ現象だろうか!?
しかしながら大学教授の後に彼はパイオニアレッドウィングスの監督を務め、現在は上尾メディックスの監督のようだ。


いずれにせよバレーに限らず日本のスポーツには、指導者が海外へ羽ばたくことを目標にしてもらいたい。
そして吉田氏の貴重なノウハウを活かして欲しい。
個人的には、代表監督を公募した際の、吉田氏が作成したレポートを見てみたいものである。
一体どんなレポートがUSVAを感心させたのだろうか?


現在日本はワールドグランプリに参戦中。
選手が海外へ羽ばたくことはもちろん、次は眞鍋監督にも世界へ羽ばたいてもらいたいという目で見るのもおもしろいかもしれない。


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