Dirk Nowitzki(ダーク・ノビツキー)の育て方

NBA ファイナルが始まった。
NBA史上最も活躍した外国人選手といって過言ではないかもしれないダーク・ノビツキーのファイナル2度目の挑戦が始まったわけだが、残念ながら今日の第1戦は負けてしまった。
しかしながら今後の巻き返しを願って必ずしも注目されないこの大スターについて考えてみたい。

ダーク・ノビツキー
32歳
ダラス・マーベリックス所属
ドイツ代表
身長213cm
ポジション F/C

ノビツキーの特徴として、身長がありながらシュート力があり、フリースローの確率は高く、3ptも打てる上に3つのポジションをこなせるスキルを持っている事だろう。
アメリカのスポーツラジオで話題になっている事は、彼がアメリカで育ったならば、このような選手になったであろうか?ということである。
あの身長があるならば、若い頃からポストプレーばかりやらされ、外角シュートやドリブルなどは全くさせてもらえなかったのではないだろうか?
そんなことが議論されているのだが、ESPNラジオのMike & Mikeでもその事が話題になり、実際にノビツキーにインタビューしている。

その答えは以下の通り、(英語と日本語両方掲載します)

My first coach that saw me and I was able to move and I didn't really have a lot of skills but the way I was able to move as a big guy, he saw me more as a Toni Kukoc type player and not with the back to the basket so I was like 12 or 13 already taller than our centers on our team and he let me run around, bring the ball up some and shoot some 3's, soit started early and then met a really good coach when I was 16,17 that I still work with today and every summer we do a lot of outside shooting and stuff, so yeah I was lucky to meet the right guys and actually I was worried at once I was thinking of about going to high school when I was 16,17 and and then go on to college go that route and I was worried that I would just be in the weight room for hours and hours and my skills set would be lost so that I was definitely a thought process before I came here.

始めてのコーチが私を見たときに、当時はスキルがあったわけではないが動ける事を見抜いてくれた。
大柄であるけどもその動きを見て、どちらかというとポストプレイヤーというよりは、トニー・クーコッチのような選手として見てくれた。
だから12、13歳の頃のチームでは既にセンターたちよりは身長が高かったが、自由に走り回らせてくれたし、時々ボール運びもやった。
もちろん3ポイントシュートを打つ事も。
だから若い時から始まったんだ。
そして16、17で今でも一緒にトレーニングしている素晴らしいコーチに出会って、毎年夏に外角シュートや色々なことを練習している。
つまりいいコーチたちの出会いに恵まれたんだ。
だけど実は16、17の時に渡米してアメリカの高校に行って、その後アメリカの大学に進む事も考えたんだが、とても不安になったんだ。
ただただとてつもない長い時間をウェートルームで過ごして、スキルの部分を忘れてしまう恐怖感があったんだ。
だからアメリカに来るまでの道のりは熟考の末の決断だったんだ。

ここでのポイントは
*いいコーチとの出会い
*オールラウンドのスキルを磨かせてくれた環境
*フィジカルトレーニングよりスキル重視の発想

などといったところだろうか。もちろん国籍は違えど同じヨーロッパ出身の大先輩トニー・クーコッチの切り開いた道は大きい。

では日本にこの話を置き換えた場合に、ダーク・ノビツキーは生まれただろうか?
残念ながら答えはNoだろう。
間違いなくポストプレイの練習ばかりさせられていただろう。
目先の勝利のために、国際的大スターは生まれる事はなかっただろう。
ひょっとするといい例が竹内兄弟かもしれない。
日本バスケ史上最も動ける2m選手だろうこの兄弟だが、残念ながら206cmという身長は国際的には決して大きいわけでもない。
そしてフィジカルなぶつかり合いに強いわけでもなく、かといってダークのような高いシュート力などのスキルもない。
つまり国際的に見ると中途半端な選手かもしれない。
もちろん国内の実績は申し分ない。
ありとあらゆる大会を制している。
しかし、過去の指導者に彼をトニー・クーコッチのように育てよう、第2のダーク・ノビツキーに育てようという発想のコーチはいただろうか?
いたとするならばジェリコだったのかもしれない。
なぜならクーコッチを指導したことのある張本人だったから。
しかし代表監督という立場で彼をじっくり育てるのも無理のある話である。

ダーク・ノビツキーはヨーロッパで育ったからこそ、今の地位がある。
ダーク・ノビツキーはいい指導者と環境に巡り会えたからこそ、今の地位がある。
どちらも正しいとは思う。

いずれ、あの選手は日本で育ったからこそ、今の地位がある、と言えるような選手が日本からも生まれる事を願いたい。


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トニー・クーコッチ ハイライト

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