サッカー日本代表の行く末

「戦術クロニカル?」と「サッカー批評」44号を読むと何か筆者の日本代表に対する作為的なメッセージを感じ取らずにいられない。
そう、現在の日本代表はディフェンスで人はたくさん動いているものの、オフェンスで人とボールが動いている気がしないと感じている人は多いだろう。
そして攻撃の形・型が見えてこないことに不安を感じているのだろう。

2冊を読んでみて私が一番感じるのは、
・岡田監督に楽天野村監督のような「弱者の兵法」の発想があまりないこと。
・故に日本人が世界と戦う上で合っている戦術をとっていないこと。

日本が今のままで世界をギャフンと言わせる戦いをするにあたって、そして今後世界に認められるためにはアイデンティティーが必要である。
そのアイデンティティーは協会や監督の哲学の反映であり、バルセロナでいえばクライフ、オランダでいえばトータルフットボール、イタリアであればカテナツィオであったりするが、岡田監督の標榜している「人とボールが動くサッカー」という言葉からは哲学を感じず、どこか薄っぺらい印象を受ける。現在最も感じるのは「ハードワーク」だが、これはもう時代の常識で日本が世界を凌駕するレベルの運動量を誇れるとは思えない。

さて、サッカー批評の広島ペトロビッチ監督の戦術とインタビューは面白い。
「チームとして」「リスクを恐れず」「スタイルにこだわる」
そして守備と攻撃時の明らかなフォーメーションの違いが浮き出る戦術

これは「戦術クロニカル?」で出てくるジェノアとも似たものを感じる。
ジェノアは3−4−3がメインの布陣だが、守備のときは4−4−2になる
広島は3−4−2−1が攻撃時には4−3−3あるいは2−5−3になる。


また「戦術クロニカル?」では千葉時代オシムマンマークの戦術も紹介されていたり、1974年のドイツが実はスペシャリストの集まったトータルフットボールを展開していたことなど面白い考察がたくさん紹介されているのだが、興味深い共通点としてはやはり攻撃時に後ろからどんどん人が飛び出てくること、オーバーラップしてくることを書いている。ベッケンバウアーしかり、阿部しかり。

ということはつまり、人が動いている、人が湧き出てくることをこれらの成功例は物語っている。日本代表にあてはめると、ボランチのポジションの遠藤や中村(憲)がどんどんシュートに絡まないと相手にとって脅威でないことがわかる。わかりやすく言えば、トゥーリオが攻め上がってくるとやはり相手は怖いのだ。それは何が怖いのかといえば、トゥーリオの風貌ではなく、やはり人が湧き出てきたことが一番怖いのだ。

ちなみに、ジェノアの戦術はFWのミリートの存在が大きいと紹介されている。ミリートの特徴として、

  • 183センチあるが、イタリアで高さが武器になるほど高身長ではない
  • スピードはあるが、これも絶対的というほどでもない
  • 特殊なフェイントも持っていない
  • しかし確かな技術と抜群の運動量
  • DFの激しいコンタクトに耐えてキープする力がある
  • パスをつないで攻め込むときにも、頻繁に下がって顔を出し、ショートパスの中心になっている
  • インテリジェンスとアイディアにすぐれている

んんん?これって日本ならトゥーリオでもいけるんじゃないか?と考えてしまうのは私だけだろうか?(平山だと助かるのだが。。。)
しかもジェノアのビルドアップの起点はサイドのMFって書いてあるぞ。んんん?これって中村俊介でもいけるんじゃないか?と考えられないだろうか?
ジェノアのディフェンスラインの保ち方は高めでトルシエ時代の日本にも似ていると書いてあるし、もうこのチームの紹介は筆者の日本代表へ対するアンチテーゼとしか私は考えられなくなった。
押し込まれた時は、5−4−1で前線にトゥーリオを残す。攻めるときは3−4−3。2ボランチとサイドのMF2人、トゥーリオプラス2シャドーという布陣だ。2シャドーは玉田、大久保、中村(憲)、松井などがおもしいかもしれない。2MFは中村俊介や本田、その他に駒野などのオプションはあるかもしれない。ボランチは遠藤、稲本、などといったところか。3バックは中澤、内田、松田といった感じだろうか。

いずれにせよ、ポジションが固定的な今の王道の戦術ではなく、岡田監督が弱者の兵法なのか、チームに世界も驚くアイデンティティーをもたらしてほしいと思う。そうすることで選手が活かされ、世界への扉が開かれていくだろう。今の欧州と変わらない戦術をしている限り、同じ実力なら地元の人間が選ばれて行くのは当たり前のことだ。欧州のクラブがリスクを冒して日本の選手をとる必要がない。

ひょっとするとそれはオシム流のマンマークかもしれないと思う。今野や鈴木(啓)は生き生きとしただろうがやはり両中村や遠藤の居場所がないことを考えると、やはりオシムはわかっていたのだ。考えれば考えるほどオシムの退任が悼まれる。