正・反・合

組織論やナレッジマネージメントの権威、野中郁次郎教授によると、創造は論理分析ではなく「弁証法」から生まれるそうだ。
その弁証法は「正・反・合」のプロセスで説明されるそうだ。
ある命題があり、それに対して否定する命題があって、それらが統合されてより高い命題が生まれ、より高い次元に至るそうだ。

日本サッカー協会代表監督の人選を照らし合わせてみよう。
トルシュエ 
フラットスリーから見て取れる規律
選手に成熟した大人になることを求めた

ジーコ 
自由
選手を成熟した大人として扱った

この流れは野中氏の説明にも沿って非常にわかりやすい。まさに一つの命題に対して正反対の命題が提示された。
そしてその後のオシム監督はまさにトルシュエとジーコを統合したような命題を生み出した。
考えながら走る。ボールも人も動くサッカー。状況判断。
もちろんディフェンスや選手交代などいくつかの課題も残されたものの、弁証法のプロセスとしては見事なものであった。
しかし残念ながら周知の通り、この新しい命題は完結せぬまま終わってしまった。

ディフェンスや選手交代は岡田監督の得意とする領域であるが、彼が歩むステップはどの命題になるのだろうか?「正」だろうか?「反」だろうか?はたまた更なる「合」なのだろうか?

それとも野中教授が提唱する日本古来の自己革新方法「守・破・離」のどれかにあてはまるのだろうか?
オシムの流れをかたくなに守る「守」か、
オシムの土台から抜けだして自分らしさを加えていく「破」か、
はたまたまったく新しい独自の道を歩む「離」なのか?

いずれにせよ今後この流れをどこに岡田監督が持っていこうとするのかは興味深い。また、この流れを意図をもって協会が進めているのか否かが今後見えてくるだろう。

以前にも似た流れを作りかけたことがあった。
オフト→ファルカン と「正・反」まで流れを作ったものの、その次が加茂監督で流れとしては「迷」、迷ってしまった感がある。
「守・破・離」ということではある意味「離」れたとは言えるかもしれないが、いい意味での「離」ではなかった。

とはいえ、心配ばかりすることもないように思う。
なぜなら野中氏曰く、「コンセプトづくりで八割は決まる」そうだ。
オシム監督は永らく日本サッカーに存在していそうでいなかった明確なコンセプトを残してくれた。
「ボールと人が動くサッカー」
このコンセプトは岡田監督も就任会見で明言している。オシムが日本サッカー界を離れるのか、スーパーバイザーとして残るのか今はわからないが、彼の残してくれたコンセプトと「知」が日本にしっかりと残り、引き継がれ、広く現場に伝えられていくことを願おう。