地域密着型スポーツクラブと部活の未来8(交流編その2地域交流とリーグ戦思考)


前回は学校内における交流を縦軸と横軸で考えてみた。
縦は上の学年やOB/OGとの交流。
横は他の部活等との交流。
今回はもう少し広げて地域単位での交流を考えてみたい。


まず一つは、指導者編でも述べたが、学校側が適正のある指導者を用意できない場合は、地域から補充することができないか?という点である。
まずはいきなり外部に手を借りる前に、仕組みとして検討しなければならない問題もあるが(これも指導者編に詳細を譲る)、それでもダメな場合は、地域から適正人材がいれば最高だろう。
日本は先進国で初めて空前の高齢化社会に突入していく訳だが、優秀でまだまだ元気な引退した社会経験豊富の人材がいる。
そんな彼らを有効活用する手はない。
仕事が多忙で今まで時間を割くことはできなかったが、サッカーにやたら詳しい人、昔バスケ部で未だによく見ている人などたくさんいるだろう。
引退した彼らはどこかに引っ越していなくなる可能性も低いだろうし、地域に根ざした形がつくれるかもしれない。
そして教師以外の人間が、人生や社会経験を生徒に聞かせられる点は大きいだろう。


一方で問題点をいくつか。
一つは理念編でも述べているが、学校の教育方針を良く理解してもらう必要性がある。
あまりにかけ離れた指導では問題が色々起きることは予想できる。
次に指導経験。
当然今まで他の仕事をしていた訳だから、指導の経験が豊富な訳がない。
そして彼の経験が時代錯誤な可能性もある。
こういったケースのために、各競技毎に指導カリキュラムみたいなものが準備されていることが望ましい。
そして最後に金銭的な面。
ここは学校側にその予算はないだろうから、ここはボランティアになってしまうのだろう。
いくらかでも予算がつくようになれば、若い優秀な指導者が育つ土壌もできるのだが、現時点ではあまり望めない。
この辺りがクリアになったところで学校側も手伝う側も安心して取り組めるだろう。


次の地域との交流の視点は、少し意外かもしれないが、医療施設との連携について考えてみたい。
アメリカの高校では、部活にはアスレチック・トレーナーの存在が義務づけられている。
先日の残念な松田選手のニュースのようなケースを未然に防ぐために設けられている制度でもあるのだが、一方で訴訟社会の現実でもあるのだろう。
日本では統一されたアスレチック・トレーナーの制度はなく、各スポーツ、各部活で違う資格を持った(もしくは持っていない)トレーナーがついているケースが多い。
しかしむしろトレーナーがついているケースは、予算も豊富な全国の一部強豪校のみで、ついていないケースのが方がはるかに多い。
そんな現状を、「日本のスポーツは危ない」というタイトルで説明している本も存在しているほどである。

日本のスポーツはあぶない (小学館101新書 20)

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あえてトレーニングの詳細や制度について突っ込んでいくことを避けるが、簡単にいうと知識を持った人間がいたほうがいいに決まっている。
しかし指導者にすら予算をつけられない現状で、トレーナーにつくことは考えにくい。
そこでせめてできることは、地域の整形外科、もしくはトレーナーなどのサービスを行っているところとの交流である。
まずはチームドクターだろう。
同じ医者に長年同じ部活をみてもらうことでわかることも多い。
Aという中学の柔道部では一切ないのに、Bの柔道部では膝のケガが多い傾向があるかもしれない。
ラグビー部の肩のケガが多いのに、レスリング部では少ないかもしれない。
きちんとした整形外科ならどこかの部位が弱っているか、発達しているかなど簡単にわかる。
それに加えてケガの傾向から練習の見直しができるかもしれない。
学校単位で地域の医者と付き合っていくことで得るメリットは計り知れない。
もちろんケガの診断が終わったら、そこまでのリハビリやトレーニングによる強化の段階でトレーナーも同じ形でいたらベストだが、これはトレーナーの人数等も含めた実情まだまだ日本が遅れているとしか言わざるを得ない。


少し余談だが、できるなら医者じゃなくてもなんでもできることはあると思う。
弁当屋さん、アメフトやラグビー部等があるのであればクリーニング屋さんでもいいかもしれない。
でも交流があることが、いずれ活きてくるのだ。


最後に地域単位での交流という点で、リーグ戦について触れたい。
日本の部活にリーグ戦という概念はほぼ皆無である。
全てが一発勝負のトーナメント方式である。
フットボール的にいうとカップ戦形式。
アメリカやオーストラリアなどと違って、一年中同じ競技に取り組む日本において、このカップ戦しかないのはとても損なことである。
なぜなら、裾野が広がりにくい構造にさせている最大の原因だからだ。
トーナメント方式においては、一番上手い人間が最も多く試合を経験できる。
つまり1回戦で負けてしまったらその競技を公式試合を通して楽しむ機会を失ってしまうのだ。
あなたが神奈川県の高校生球児で1回戦で松坂大輔が投げる横浜高校と対戦すると思えば想像しやすいだろう。
ある意味ファンタスティックな経験かもしれないが、はっきりいって楽しい経験ではないはずだ。
絶望感漂う可能性もある。
こういったケースは、日本ではごろごろ存在している。
ラグビー佐賀県決勝の得点を見たことあるだろうか?
秋田県のバスケの決勝も激しい。
そんなたった1試合だけの公式戦を経験をした人間が、将来野球を広めたり、野球をお金を払って観に行く確率を、その後のスポーツとの関わりをなんとなく想像してもらいたい。


リーグ戦のいいところはたくさんある。
まずは試合数を多くできること。
次に一つの物差しができること。
同じく横浜高校と同じリーグに所属したことを考えてもらいたい。
今年は松坂大輔にきりきり舞いにされ、18対0のコールド負けかもしれない。
でも翌年その差が9対0になっていたらどうだろう?
その時の学生の気持ちの変化、OBの気持ち、周りの評価などを考えてみて欲しい。
その上でその人の将来のスポーツとの関わりを想像してもらいたい。
かなり違う未来予想図がみえたのではないだろうか?
もちろん同じレベルの相手との試合もあるだろうし、下との対戦もある。
つまり勝ったり負けたり、人生と同じである。
教育的な価値でもどちらがあるか考えてみるのもいいだろう。
次に試合が多くなるということに付随して、それだけ観戦のチャンスが増えることも意味する。
親や学校の友達が試合を見ること。
応援してもらうことで、スポーツの良さ、おもしろさ、そして何より観戦することの楽しさが伝播していくのだ。
できれば地域でリーグ戦をやるならば、学校同士も距離が近いところに存在しているだろうから、ホーム&アウェイなどの形式でやればより盛り上がるだろう。
アメリカでは公式試合を平日の学校後に設定したりする。
「フライデー・ナイト・ライツ」なんて聞いたことないだろうか?

フライデー・ナイト・ライツ

フライデー・ナイト・ライツ

金曜日の夜にアメフトの高校の試合を設定して、町中を上げて応援する地域の一大イベントと化している例も多々ある。
ここでチームドクターなどと交流していれば、そのお医者さんも応援に来てくれるだろう。
その医者にかかっている他の地元の患者さんも来るかもしれない。
弁当屋さん、クリーニング屋さんの店員、そこのお客さん。
地域が盛り上がってくるのがなんとか感じ取ってもらえているだろうか?
アメリカではここでさらに屋台や売店を出して売り上げから部の予算を捻出したりする。
こうすることでスポーツはやる人間も観る人間も増えていく。
いや、何よりスポーツで「いい思い」をした人間が増えていく。
観るだけのライト層も徹底してやるヘビー層も。
その輪が雪だるま式にどんどん増えることで、裾野が広がり、競技人口だけでなく観戦人口も増えていくのである。
その結果プロスポーツの経済的母体が大きくなり、徹底や倒産等せずに存続していけるのだろう。


上記のことは、地域密着型のクラブ運営でもそのまま流用できることが多いだろう。
しかし、その点を考えてもやはり部活の存在は日本のスポーツ界を思えば欠かせない存在で、よりよい形で発展してもらわないといけない。
日本の問題は、スポーツに関わっている人の少なさではなく、自らそのチェーンを短くしていっている点である。
学年と学校という縛りで流れを断つのではなく、地域と結びつくことで広がっていくことを検討してもらいたい。


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