書評:「本田にパスの36%を集中せよ」 サッカーとデータ分析の歴史

マネーボールという野球界の概念に楔を打った一冊が世に登場したのは、2003年のことである。
今までの慣例、習慣、常識、通説をデータ分析により覆して、弱小金欠チームのオークランドA'sをプレイオフの常連にしたGMビリー・ビーンの活躍はその後ブラッド・ピットの目に止まり、映画化までされている。


マネー・ボール (RHブックス・プラス)

マネー・ボール (RHブックス・プラス)



元々サッカーのデータ分析及び科学の導入の歴史は意外に古く、マネーボールが実際にビリー・ビーンに取り入れられるよりも前に現場に導入されている。
最初の成功例は、ウクライナの名将、ディナモ・キエフの監督、ヴァレリー・ロバノフスキー監督が有名だ。
彼は科学者アナトーリ・ザレンツォフ教授とともに、フォーメーションやポジショニングなどを様々な角度から分析し、それを可能にするフィジカル・トレーニングにも科学を導入した。
2人の共著 The Methodological Basis of the Development of Training Models には、ロバノフスキーがNBAの試合を見て興味を持ったとされるプレスの3種類の概念も書かれており、これがサッカー界の科学やデータとの成功の出会いとされている。
彼はこう言ったとされる
「ミスを全体の15〜18%に留められるチームは無敵だ」と。


1970年代から始まり、90年代前半まで存在感を示したロバノフスキーに続いてデータに興味を持ったとされるのは、日本でもお馴染みのアーセン・ベンゲル監督。
モナコ時代に友人が開発したプログラムを利用したりしたそうだ。
しかしサッカー界にデータ分析が広くブレイクスルーしたのは、1996年とされている。
オプト・インデックスという会社が、イングランド・プレミアリーグの全試合のデータを収集し始めたのだ。
これを機に、チームのボールポゼッション率、先週の走行距離、タックル回数など様々なデータが手に入るようになった。



そして遅れること約7年。
本書の著者である森本氏が映像とデータを組み合わせたソフトを、当時横浜Fマリノスの監督だった岡田武史氏が採用するのが2003年のシーズンだそうだ。
その後このソフトはJリーグの他のチームにも広がり、現在日本でも欧州並みのデータ分析は一般的になっているようだ。
本書はそのマネーボールのデータ分析をサッカーに取り込み、実際に岡田ジャパンにデータ分析を提供した人物が記した一冊。


本田にパスの36%を集中せよ―ザックJAPANvs.岡田ジャパンのデータ解析 (文春新書)

本田にパスの36%を集中せよ―ザックJAPANvs.岡田ジャパンのデータ解析 (文春新書)



この中で著書は2010年のワールドカップのデータから読み取れる勝者のKPI(勝利に結びつく重要な要素)をまず抽出している。
数多くのデータの中からまず攻撃で彼が選んだのは、以下の2つの要素
*相手陣のゴール近いエリアへの縦方向パスの成功率
*ボールを奪ってから16秒以内のシュート

これでみるとやはり優勝したスペインはどちらも高い数値が出ている。
1試合あたり16秒以内にシュートした本数が平均4本以上なのに対して、日本は1.67回となっている。
つまり攻撃にいかに手数を必要としているかこのデータは示している。

そしてディフェンスでのKPIは、
*クリア数
*相手陣近くでボールを奪った回数
とした。

すると日本のクリア数はドイツ代表の2倍もあることがわかる。
危機を一時的に逃れるためにただ闇雲にクリアしている日本よりも、ドイツがカウンターにつなげていることを物語っているデータである。

その後本は岡田ジャパンザックジャパンの比較に移って行くが、データの力を利用して以下のことを説明しきっている。
岡田ジャパンがワールドカップで守備ラインを低めに設定せざるを得なかった過程。
接近・展開・連続の超高速コンセプトの失敗をデータで見事分析し(特に強豪国に対する失敗)、その後の阿部をアンカーにするまでの過程をデータで紹介している。
そして前から追わなくなったワールドカップ本戦で、逆に守備が安定したものの、相手ゴールまでにたどり着くのに時間がかかっていることも証明。
その結果、相手ゴール近くのパスの36%ものパスが本田へのパスだったのだ。
これが題名の意味である。
ボールを奪う位置が下がったため、相手ゴールからの距離が遠くなった。
このため一旦誰かにボールを収める必要があった。
それが本田だということだ。
この議論はワールドカップ中散々し尽された感はあるが、データは裏切らなかった訳だ。


この方法でベスト16まで進出したジャパンだが、ザックジャパンになると正しいポジショニングでボールを高い位置で奪えるようになり、その結果攻撃への移行もスムーズでゴール近くへボールを運べるようになった。
しかしその一方、強豪国に対してはどうしてもポゼッションで負けてしまう傾向はあり、クリアの回数にはまだまだ改善の余地が見える。
そして高さ対策も必要なことがアジアカップの戦いからもデータでも証明されている。


先日ワールドカップ3次予選でオーストラリアと激戦を引き分けた日本代表だが、不思議なのはこの本によるとアジアカップのオーストラリアに勝てた要因の一つは岩政投入によるロングボールの攻防の改善。
結果今野はサイドバックに移動し、長友はポジションを一つ前にあげ、足の止まったオーストラリアに対し決勝のアシストのクロスを上げている。
実はその前の岡田ジャパン時にもオーストラリアと対戦した時は、闘利王が何度もロングボールを制し、戦いに安定感をもたらしていた。
今回の試合で何故ロングボール、高さ対策をしなかったのだろう?
岡田ジャパンで蓄積されたデータはザックジャパンに移行されていないのだろうか?
まさかとは思う。
しかし以前ラグビーの世界では平尾ジャパンがかなりのデータ解析をしたのにも関わらず、一切そのノウハウが引き継がれなかったそうだ。。。
サッカーの世界ではそんな寒い現実がないことを願うばかりだ。


さて、本書で数学と科学とデータがサッカーを説明するのにどれだけ役に立つかその一端は垣間見ることができる。
しかし、先進国ではこのデータと現場の素敵に複雑に入り組んだ関係は次のレベルへと進んでいる。
かつてベンゲルのアシスタントだったダミアン・コモッリはビリー・ビーンアメリカに訪ねすっかり意気投合。
その後トッテナムフットボール・ディレクターに就任し、現在はリバプールで活躍している。
1試合あたりの走る距離が長いことだけでベンゲルのレーダーに引っかかったフラミニは、ベンゲルが実際に視察した後格安で獲得を決意、その後アーセナルで活躍し、その後ACミランに移籍。
失敗例も数多くある。
タックル数の低下でオランダ人DFスタムの放出を決めたファーガソン
ポジショニングが良くなっていたというのが定説だ。
同じく見た目のパフォーマンスで放出を決められたレアル・マドリードのDFだったマケレレ
彼の抜けた穴をなかなか埋められずに苦労した事実は有名だ。
そうして欧州サッカーでは、MLBと同じ議論の土台に立っている。
データオタク、数学博士と実際のスカウトやGMやコーチ達との価値観の共有の苦戦だ。
ベンゲルのように融合に成功している例もあれば、データ優先で失敗している例もあるだろう。
ただMLBがそうであるように、その情報格差の違いはほぼなくなりつつあるのだろう。


翻って日本の場合はどうであろう?
最近やっと朝日新聞でもポゼッション率などのデータは紹介されたりするケースもある。
しかしそれ以上は見ない。
野球に至っては、提供されている情報量はもう何十年とほぼ変わらないだろう。
世界はビッグデータ分析の時代と言われている。
海の向こうのスポーツ界ではそれが現実となっている。
日本はまだまだ同じ土俵に立っているとは言えないかもしれない。


本書はそういった意味で多くの日本人にこの分野の重要性を知ってもらうには良い1冊だ。
ただ感想としては、もうちょっと要点をわかりやすく説明できたのではないかと思う。
パワーポイントのプレゼンのようなスタイルを盛り込んでも良かったのではないかと思う。
なぜなら長い文章を追いながらグラフやデータを追うのは読み手としてちょっと苦労する。
そこが改善されたら良かったのにとは思う。
そして何より残念だったのはやはりタイトル。
売れるためには仕方ないと思うが、本社の内容の骨子ではなかったので、少しがっかりする人もいるかと思う。
データ分析の実態を知ってもらうのがこの本の目的だと思うから。


参考文献

WIRED (ワイアード) VOL.2 (GQ JAPAN2011年12月号増刊)

WIRED (ワイアード) VOL.2 (GQ JAPAN2011年12月号増刊)

*欧州サッカーとマネーボール


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